むつかの心道

心を見つめ小さな気づきを綴ります

良寛さん

 

お久しぶりです、むつかです。またこのブログを訪ねてくださり、ありがとうございます。今度から不定期ではありますが、日々の気づきを更に誠実に心を込めて、綴っていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

 

 

「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候

 死ぬ時節には、死ぬがよく候

 これはこれ、災難をのがるる妙法にて候」

 

 この句を、最近メディアで目にするようになりました。これは良寛さんが故郷の新潟で、地震で被災した時に、知人からのお見舞いの便りに、返信として書かれたものだそうです。

 

なぜ今この句が一部の人達ではありますが、とり上げられているのでしょうか。

 

それは、現世のコロナ禍でも右往左往せずに、できることを精一杯行うこと、そのうえで後はおまかせの気持ちでいること、に尽きると思います。さらに言えば、この痛みを味わって死んでも、これが自分の人生だったんだなぁ、と思い諦めることが肝心かと思います。

 

人生の目標の途中半ばで、やり残したことがあったとしても、それはそれでいいと思います。囚われない気持ちが大切です。そのためには

 

今を丁寧に大切に生きること

 

です。死んでから気づいても遅いのです。今生きている間に自分はどんな気持ちで生きているのかを、今一度振り返って、必要であれば軌道修正を図ることも大切かと思います。

 

良寛さんには、いろいろな面白い逸話があります。

 

幼少の頃の話です。当時は栄蔵と言う名でした。 

栄蔵が朝寝坊をしたので、父親の以南にひどく叱られました。すると栄蔵は不服そうに上目遣いで父親を見たので、父親は「親を上目遣いで見る者は鰈(カレイ)になるぞ」とさらに叱りました。

すると栄蔵は姿を消してしまい、日が暮れても家に帰って来ませんでした。家の者が心配して探していると、岩の上に立って海を眺めている栄蔵を見つけました。何をしているのか尋ねたところ

「ぼくはまだ鰈になっていないだろうか」

と聞いたということです。

 

このような話からも良寛さんは、人の言うことを簡単に信じやすく、素直であったことがわかります。更に別の話として、良寛さんが大人になってからのことです。

 

良寛さんが托鉢の途中で、子供たちとかくれんぼをして遊んだ時、子供たちが遊び疲れて帰ってしまった後でも、それを知らずに良寛さんはわら束の陰に隠れていました。どれだけ時間が経ったかはわかりませんが、暗くなり、遅い時間に農家の人がわらを取りに来て、良寛さんを見つけてびっくりしました。「良寛さん、何をしているんですか」と尋ねると

「しーっ、鬼に見つかるじゃないか」

と言ったという話です。

こんなところからも、良寛さんの人柄がうかがえます。しかし、まだ他にもいろいろ逸話はありますが、このようなことだけでは生身の良寛さんをうかがい知ることはできません。

良寛さんの生い立ちや、死にゆくまでの道程を書き尽くすことはできませんが、また近いうちに良寛さんについて、良寛さんから学べることを、書き記したいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 
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