むつかの心道

心を見つめ小さな気づきを綴ります

良寛さん②

 

前回の続きです。

良寛さんは素直でピュアな人でした、が後世に名が残るほどの人です、一括りには顕せないお方だと思います。

 

良寛さんは新潟県出雲崎で庄屋の跡取りとして生まれました。4男3女の長子です。

見た目は愚鈍とも思われるほどに、襟を正すことにも気が回らないような、着る物にも無頓着な人でした。

しかし勉学や読書が好きで、少年期には論語などを好んで読んでいたそうです。

 

見た目とは裏腹に、鋭敏な感受性をもった、人一倍、他人の気持ちに同化しやすい性質だったのではないかと思われます。

 

そんな良寛さんですから、実利を追う経営者として、庄屋の名主を継ぐのには不向きだったようです。父親との確執もあり、衰運の傾向にあった家業を捨て、家を飛び出してしまいました。

 

後に禅僧となりますが、その間に寺院仏教の腐敗、僧侶の堕落を目の当たりにし、住職を選ばずに、農民よりも貧しい乞食(こつじき)の暮らしを選んだのです。

 

農民や、もっと恵まれない人たちに対する同情があり、自分の役立たずぶりを恥じ、山田の案山子(かかし)よりも劣ると嘆いています。農民よりももう一段低いところに自分を置きました。

 

乞食(こつじき)の重要さは、民衆に接すること、民衆と共に苦しみ、悩み、喜ぶことができることです。これが仏法を、自然体で言葉を発せずに、民衆に感じてもらえる最大の神髄ではないかと思います。

 

(乞食=托鉢 とは、衣食住に対する執着を捨て、生きていくということを他人にゆだねる大切な修行です。良寛さんの時代はその日に食べる分だけを頂き、蓄えるということはありませんでした。施しが無ければ無いでその日を過ごさなければなりません。現代では、募金活動やパフォーマンスのようにとられることもあるかも知れません。人に見られる恥ずかしさや、偏見もあるかも知れませんが、それを越えてただひたすらに歩き続けることも修行になります。)

 

「何もしなくても、良寛さんがいるだけで家中が和やかになり、帰った後もみんな幸せな気持ちでいる」と良寛さんをよく招いた人が言ったそうです。

 

仏法などの難しい話は一切せず、ありのままの自分をさらけ出して、それでみんなを感化させてしまう

 究極の説法だと思います。長い長い真剣な修行の結果の悟りなのではないかと思います。もしかして悟りとは自覚していない悟りなのかも知れません。

 

以上が簡単ではありますが、良寛さんの人物像なり、生き方なりを綴らせていただきました。どなたかに少しでも、何かの変化のきっかけになれば幸いです。

 

今日も読んでいただき、ありがとうございました。

 

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