悪癖
私はコーヒーを飲みます、が一日一杯がやっとです。
好きなくせにやっと、ってどういうこと?ですよね。
昔は一日に2~3杯ぐらいだったのですが、体に合わないというか、胃がシクシクと痛み出すので、段々と減ってきて今は一日一杯です。それも半分ぐらい飲むと、あとは嫌になって飲めなくなります。
脳はコーヒーを求めているのに、体は拒絶しているこの矛盾。いっそのこと止めてしまえばいいのに、と思うのですが、これが私の悪いところです、つい、手を出してしまいます。
ここから少し飛んで重い話になります。
以前テレビの特集で、無期懲役で刑に服している人たちを見ました。
10代で服役している人もいれば、40代、50代で服役している人さまざまです。
無期懲役ともなれば、ほぼ全員殺人を犯した人たちです。生涯を刑務所の施設内で過ごさなければなりません。仮釈放となるのは、30年以上模範囚として刑に服し、その中でもほんの一握りしか社会に復帰できる人はいません。
もし仮釈放となっても、無期懲役という立ち位置は変わりません。常に心正しい生活を送っていかなければなりません。過去に仮釈放になった人で、競艇に行ったことがばれてしまい、また服役生活に戻されてしまった人がいたそうです。30年以上模範囚として頑張ってきたことが、水の泡になってしまいました。
人の心って誘惑に抗うことはできないのでしょうか。
程度の差こそあれ、誰しもがそんな心の部分ももっているのではないでしょうか。
その心を克服してこその魂の成長です。簡単にできそうでできないものです。
飲酒する人、喫煙する人、何度か止めようと思った人もいると思います。
私はこれから、内なる良心にお伺いを立てながら、生活を見直していこうと思います
私 「あのー、コーヒーを飲みたいんですけど‥」
良心「ダメに決まっとるがね」
私 「やっぱり‥」
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余談になりますが、また服役囚の話に戻ります。
服役を60年務めた無期懲役者がいました。年齢は90歳代で、寝たきりです。
介護を同じ無期懲役の40代の人がしていました。ほとんど意識がありません。
もう死期が間近だと言うことが見えてきた時、別の施設(病院)に移すことになりました。その時に、もう意識がないのにもかかわらず
「手錠」をかけられたのです
決まりとはいえ、現実の残酷さに私は言葉を失ってしまいました。
人生の大半を刑務所で過ごして、学びはあったのだろうか、心の償いはできたのだろうか。私はその人の生涯を思い、今度生まれ変わる時は、日の目を見る生活が送れることを願ってやみませんでした。