むつかの心道

心を見つめ小さな気づきを綴ります

許す心

私には二つ違いの姉がいます。

彼女には子供のころから、どうしても許せないことが一つありました。

 それは父親のことです。

 父は私が小学校に上がる前に、私たちを捨てて家を出てしまいました。ほかの女性のもとへ走ったのです。

 

母は一生懸命、父に尽くしていました。陰で泣いているのを見て、幼心にも私は理由はわからないながらも悲しくて、一緒に泣いていました。

 

でも父がいなくなっても、私はさほど淋しかった記憶はありませんでした。父は私を可愛がってくれていたのですが、母のことが大好きだった私は、父がいなくても平気な子供でした。

 

しかし姉はその時から、父を許すことはありませんでした。

3,4年ほど前に父は亡くなったのですが、その時でも許してはいませんでした。

 

姉と私の心に温度差があるのは、いったい何なんだろう、と子供の頃からずっと感じていました。姉の感受性が強く、私は鈍い感性なのだろうと思うしかありませんでした。

 

しかし、近年よくよく考えてみると、感受性の問題だけではないことに気がつきました

 

それは、私がもともと人を恨む、という気持ちがなかったのです。悪く言えば、その気持ちが欠けている、良く言えばお人好しです。

でも欠けていると言う表現は誤りで、やはり恨むという気持ちがないことが正解だと思います。

 

私は過去世のどこかで、恨むという気持ちを昇華させてしまったのではないかと思います。それが今世を通じて、とことんお試しがあったように思います。いろんな場面で、恨んでもおかしくないところを、大した問題ではなかったような思いで生きてきたような気がします。

その分お人好しが目立ってしまい、はたから見れば損をしていると思われたり、小ばかにされたり、と言うこともありました。もちろん自我も大いにありましたから、陰でよく泣きました。

 

しかし、後々それで良かったんだと、心から思えるようになりました。

私と言う人間を信頼して見てもらえるようになったからです。

 

今でも、誤解をされて腹を立てられることがあります。それでも黙ってひたすらにあるがままの自分でいると、自然に誤解は解け、なぜか「神様だ」と言われるようになりました。

わけが分かりませんが、本当の事なのです。

 

これからもいろいろなことはあると思いますが、死ぬまでこの気持ちを大切に持ち続け、悪い思いがあればすべて昇華させ、来世に臨みたいと思います。

 

心配なのは姉の事です。間違いを犯した父を許すことは、死ぬまでにできるのでしょうか。

 

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