死生観
「明日が当たり前に来るわけではない」
と言われた女性法医学者がおられます。
この方は死因究明のエキスパートで、司法解剖を主にされています。
医学生の時の解剖の実習で、「人はいつ死ぬんだろう、人が死ぬと言うのはどういうことなんだろう」と考えるようになり、死と言うものを突き詰めて考えてみたいと思ったのが、法医学に関心を持ったきっかけだそうです。
また別に、虐待を受けた子供や、DVを受けた人を診察をして、保護についてのアドバイスをするのも法医学の仕事です。解剖をすることによって、生きている人に還元したいという思いで仕事を続けられているそうです。
そんな仕事をされているからこその死生観から出た言葉が「明日が当たり前に来るわけではない」です。
今日、普通に元気でベッドに入っても、翌日には二度と目覚めないかもしれない
朝、笑顔でいってらっしゃいをしたのに、もう二度とその笑顔は見られなくなるかもしれない。いつ、どんな状況で死ぬのか。
そんな時に後悔をしないように、今日、この今を大切に生きよう、というわけです。
今生きていられることが、息を吸うこと、吐くことができることが、当たり前のようで当たり前ではないのかも知れません。いろんな要素が重なって存在する自分です。
両親、先祖がいなければこの自分は存在しません。学びをするために、この地球に生を受けられたのは奇跡だと思います。
よく感謝、感謝と人は言います。が一体何に感謝なのか?
それは自分に関わるってくれる人、生きとし生けるもの、はもとより
目には見えない何か
が自分を生かしてくれているから感謝なんだろうな、と思います。
だからいつ死んでも後悔のないように、今を精一杯生きて、後はその「見えない何か」におまかせの気持ちでいることが、この世を生きやすくする方法なのではないかと思います。
その見えない何かは、その人に進むべき道を、知らず知らずに歩ませてくれています。学びや気づきがあれば、また次のステップへと導いてくれています。私たちは、その見えない何かの大きな愛の中で、辛くて厳しい体験をさせてもらっているわけです。
たとえ今が辛くても、思いっきり生き抜きましょう。
その女性法医学者は、遊びをするにも、何をするにも全力で臨んでいるように見えます